【帆布の歴史】その2 帆布が誕生するまで

帆に風を受けて進む帆船が主流の江戸時代、この当時の帆は、それまで使われていた藁で作られた”むしろ“から木綿布へと変わっていく。しかしながら、まだ木綿布でも弱く、丈夫にするため2枚重ねにし、それを3枚繋ぎ合せて帆とする “刺帆”と呼ばれるものを使用していた。

この刺帆は、それまでのむしろ製より優れていたが、作るのに人手が掛かるわりには破れやすく、水分を含んですぐ重くなるという欠点があった。そこで船頭だった松右衛門はこの刺帆の改良に挑んだ。

刺帆は木綿布を何枚か貼り合わせているが、それならば、1枚の丈夫な布を作ってそれを帆にしてはどうか?そこで播州の特産品である木綿を使い、これまでとは比べものにならないくらい太い織糸を作って布を織ることに。しかし、太い糸を作ること、さらにそれを織る方法、そのための織機を作ることは簡単ではなかった。悪戦苦闘の末、播州二見(現在の明石市二見)の製糸工場で失敗を繰り返しながらも、ようやく納得いく布を作ることに成功した。

これを帆にしたてて、松右衛門は早速実験を行う。帆は、風をつつみ、船をぐんぐん進める。さらに出来上がった帆は丈夫で強く、水切りもいい。ようやく刺帆の欠点が見事に克服されることとなる。この布はそれまでの「刺帆」に対して「織帆(帆布)以下帆布と呼ぶ」と名付けられ販売された。

帆布は、これまで以上に強い風を受けて船を走らせることができるようになり、船の速度は向上。当時の航海の時間短縮に大きく貢献した。
さらに帆の修理や取り換えなどの手間が少なく、人手も掛からなくなった。

この帆布を本格的に生産するためには工場を作らなければならなかった。船頭である松右衛門には十分な資金はなかったが、北風家の分家である喜多家の援助により兵庫の中心地である佐比江町に工場と店が作られ、ついに帆布の生産を始める事となった。


参考文献:高砂市教育委員会(2013) 風を編む海をつなぐ

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