【帆布の歴史】その3 帆布が倉敷・児島地区で発展したのはなぜ?

岡山県の倉敷・児島地区は、繊維産業の盛えた街。海が近い児島地区は、塩害の影響もあり、農耕に適していない土地だった。そんな中でも成長したのが、綿花だったという。

温暖な気候と豊富な水源には恵まれ、綿に関しては良質なものが収穫できた。この綿を加工し太い糸を、さらにそれを織って丈夫な紐や布地を作ることで地域の大きな産業へと展開していった。現在でも児島地区は、綿産業が盛んで、学生服やジーンズなど綿製品の産地となっている。

タケヤリを創業した武鑓石五郎と梅が、工楽松右衛門が考案した新しい技術(帆布)に着目し、技術を取り入れていくことになったのが岡山倉敷での帆布生産の始まり。今もその技術を伝承し織り続け、現在では帆布の国内生産量の約7割を占める一大産地へと成長した。

タケヤリの工場が位置する倉敷市「曽原(そばら)」という地名は、原野に帆布を干した「帆原(ほはら)」から由来するとも言われている。

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