【帆布の歴史】その4 武鑓帆布工場(タケヤリ)

1818年

児島地区で作られた布地や帯地は、雲斎・小倉織・真田紐の良さが人気となり、瑜伽大権現門前町の土産物として全国からの参詣人に買われていった。
農業の余暇であった綿作りは、片手間な仕事ではなくなり、急激な発展を遂げる。

1867年

薩摩藩がイギリスより紡機を輸入したことから、日本最初の機械紡績所として鹿児島紡績所の操業が開始される。

1882年

渾大坊兄弟により下村紡績所が創設。
また日本でわずかにしか導入されていなかった紡績機に着目し、岡山県下初の紡績所として創業。

1888年

児島地区の郷内にて、厚物織り工場として株式会社タケヤリの前身である「武鑓帆布工場」が武鑓石五郎と梅により創業される。ここから工場130年の歴史が始まった。

石五郎はもともと農業や行商を行っていたが「織り姫」と呼ばれ機織りの名手であった梅との結婚を機に製織・販売業に転じることになった。

その後、2代目卓衛の時代に”手織りから動力織機”に切り替える事により生産増加への布石を築き、大戦を経て3代目和夫が導入したベルギー製シャトル機ピカノールが、現在他社では織ることのできない極厚の1~3号帆布の生産を可能にする。

1984年には現会長の澄治が5代目社長に就任し、超高速織機の導入を促進するなど成長速度を増長。更に会長自ら陣頭に立ち、これまでの生産工場という立場からファクトリーブランドとして、新しい一歩を踏み出した。現在では高品質なバッグブランドとして国内外で販売されるまでに成長してきている。

Japanese
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