工場には焼杉の外壁
工場には焼杉の外壁

工場には焼杉の外壁

張り替えた部分と古い部分との微妙なコントラストが美しいこの写真はタケヤリの外壁。外壁は焼杉を使っている。130年の歴史の中で補修・張替えをを行い今に至ります。  地面から50センチくらいが白っぽいのは、昔水害があった時の物、壁には長い歴史が刻まれている。 昔の焼杉は60年〜70年ほど持つと...
【帆布の歴史】その4 武鑓帆布工場(タケヤリ)
【帆布の歴史】その4 武鑓帆布工場(タケヤリ)

【帆布の歴史】その4 武鑓帆布工場(タケヤリ)

1818年 児島地区で作られた布地や帯地は、雲斎・小倉織・真田紐の良さが人気となり、瑜伽大権現門前町の土産物として全国からの参詣人に買われていった。農業の余暇であった綿作りは、片手間な仕事ではなくなり、急激な発展を遂げる。 1867年 薩摩藩がイギリスより紡機を輸入したことから、日本最初...
1958年に導入したシャトル織機
1958年に導入したシャトル織機

1958年に導入したシャトル織機

1958年、3代目和夫が導入したベルギー製シャトル機ピカノールは、他社では織ることのできない極厚の1〜3号の帆布を生み出すことができた。この織機26台を今でも稼働させている工場は世界中を探しても倉敷 帆布の老舗タケヤリだけだろう。 シャトル機で織られた生地は最新の織機と比べればスピードは遅...
【帆布の歴史】その3 帆布が倉敷・児島地区で発展したのはなぜ?
【帆布の歴史】その3 帆布が倉敷・児島地区で発展したのはなぜ?

【帆布の歴史】その3 帆布が倉敷・児島地区で発展したのはなぜ?

岡山県の倉敷・児島地区は、繊維産業の盛えた街。海が近い児島地区は、塩害の影響もあり、農耕に適していない土地だった。そんな中でも成長したのが、綿花だったという。 温暖な気候と豊富な水源には恵まれ、綿に関しては良質なものが収穫できた。この綿を加工し太い糸を、さらにそれを織って丈夫な紐や布地を作...
【帆布の歴史】その2 帆布が誕生するまで
【帆布の歴史】その2 帆布が誕生するまで

【帆布の歴史】その2 帆布が誕生するまで

帆に風を受けて進む帆船が主流の江戸時代、この当時の帆は、それまで使われていた藁で作られた”むしろ“から木綿布へと変わっていく。しかしながら、まだ木綿布でも弱く、丈夫にするため2枚重ねにし、それを3枚繋ぎ合せて帆とする “刺帆”と呼ばれるものを使用していた。 この刺帆は、それまでのむしろ製よ...
【帆布の歴史】その1  帆布発祥と工楽松右衛門
【帆布の歴史】その1  帆布発祥と工楽松右衛門

【帆布の歴史】その1  帆布発祥と工楽松右衛門

帆布の発祥は、古代エジプトまで遡り、船の帆として使われた亜麻帆布が始まりだと言われている。耐久性に優れた布は、ミイラの巻き布にも使われていたという。 日本では18世紀に船の船頭であった工楽松右衛門が速い船をつくるため、良い帆の発明に没頭し、これまでの綿織物を綿帆布へと発展させていったのが始ま...
タケヤリの帆布とは?
タケヤリの帆布とは?

タケヤリの帆布とは?

岡山県倉敷市は全国の帆布生産シェア約70%という帆布の一大産地です。中世から江戸時代にかけて綿花の栽培が盛んだったことから繊維業、紡績業が発達しました。私どもの工場のある倉敷市「曽原(そばら)」という地名は、原野に帆布を干した「帆原(ほはら)」から由来するとも言われています。帆布(はんぷ)...
タケヤリ帆布のはじまり
タケヤリ帆布のはじまり

タケヤリ帆布のはじまり

1888年、児島地区の郷内にて、農業や行商をしていた武鑓石五郎と機織の名手である梅との結婚を機に製造業がはじまり、タケヤリの歴史がはじまりました。 優れた織り手であった梅の元には評判を聞きつけた木綿問屋から角帯や足袋の底地など注文が入るようになり、タケヤリの生地は桐の箱に入れられ大阪や東京...
ひかりの差し込む工場
ひかりの差し込む工場

ひかりの差し込む工場

昔の地図には工場のあるところにキザギザの屋根と煙突のマーク描かれている。今でこそ郷愁を感じるそのノコギリ屋根は、かつては近代工場の象徴ともいえる存在だった。もともとは産業革命当時の英国で考案された屋根の構造で、日本では明治10年代末に採用され始めた。構造的にもシンプルで事業の拡大とともに増...